鈴木敏文

日本最大手コンビニエンスストア・チェーン「セブンーイレブンージャパン」の創業者である。東京物販販売に入社後、30歳で辞職し、イトーヨーカ堂に入社、1973年、当時の親会社イトーヨーカ堂は大規模小売店イトーヨーカドー」の出店スピードを上げている時期で、アメリカに倣ったコンビニエンスストア業態の導入は時期尚早との意見が強く、反対意見が多い中、中小小売店の経営を近代化すれば、大型店との共存共栄は可能であると考えて日本初のコンビニエンスストア「セブンーイレブン」を創設した。出店にあたっては、ドミナント戦略を徹底しており、その戦略は現在でも行われている。集中的に店舗を展開することで、専用工場や専用配送センターの使用率をあげ、効率よく営業を行える。当時は、卸売業者の方が小売業よりも力が強く、小分け配送を行っていなかったが、その部分を改変し、売れ筋や在庫数を把握することで利益を出し、セブンーイレブンにPOSシステムを導入し、POSシステムから得た情報を世界で初めてマーケティングに使った。細かい経緯は以下の通りである。開店当初は売上は良かったが、在庫も大量に抱えていたため、利益が出なかった。在庫を減らすため売れ筋商品の分析に取り組み、小分け配送を問屋に依頼した。仕入伝票を調べ、在庫の数を正確に把握、さらに売れ残っている在庫数も正確に把握し、何が売れているのかを詳しく分析し、売れ筋商品を中心に仕入れることで在庫後減り、利益が出始める。これらがPOSシステムに発展していった。

新規需要の開拓のため、深夜の買い物需要と、和製ファーストフード(おにぎりやおでん)の販売などを行った。深夜の買い物需要については今では常識となっているが24時間営業店を地方都市に出店し、仕事帰りのサラリーマンや学生、急に必要な物がある人達のニーズに応えることが出来た。和製ファーストフードは「家で作れるものをわざわざ買う人がいるのか」という反発を食らうも、それらを押し切って販売し、現在では当たり前のように商品棚に並ぶほど成功・定着した。

周囲の反対を押し切ってでも実現させる経営者としてのセンスやカリスマ性はもちろんだが、アメリカのやり方と日本のやり方に区別をつけて成功させた状況判断力と決断力には

驚かされた。保守的で維持志向も必要ではあるが、時には前衛的で大胆に独創性のある判断も必要であるとわかった。日本の現在の経営者はこの引き際と攻め際の適切な判断力が成功に繋がる方法の一つであると思った。